レミオロメンの復活理由は?止まっていた時間が再び動き出した
あの「3月9日」や「粉雪」で、青春時代を思い出す人も多いはずです。
そんなレミオロメンが、まさかの復活。
しかも14年ぶりということで、思わず「え、令和に!?」と声が出ました。
この見出しでは、なぜ活動を止めていたのか、そしてなぜ今、再び歩き出すことになったのか。
その理由を、ゆるっと解説していきます。
ちょっと疲れた夜でも読みやすいように、なるべくシンプルにまとめますね。
活動休止の本当の理由と当時の葛藤
レミオロメンが活動を止めたのは、2012年のこと。
当時は理由がふわっとしていたんですが、今回の藤巻亮太さんのコメントで、ようやく「本音」が明かされました。
どうやら、あの頃の藤巻亮太さんは“承認欲求”でがんじがらめだったようです。
「こんなに頑張ってるのに、なぜ伝わらないのか?」
「わかってほしい。報われたい。」
その気持ちが強すぎて、結果的にメンバーとの距離もできてしまったとか。
これは…ちょっと胸に刺さります。
40代のシステムエンジニアとして言わせてもらうと、プロジェクトで自分だけ泥かぶってる感覚、あれに近い。
「気づいてほしいけど、誰も気づいてくれない」
「じゃあもういいよ」って、ひとりで背負っちゃうやつです。
でも14年たって、藤巻亮太さんはこう語っています。
「逆に僕は2人の気持ちを分かろうとしたのか?」
この一言、しみました。
それぞれが別の道を歩んで、ようやく“わかり合える”ようになった今。
「止まっていた時間が、ようやく動き出した」と本人も話していて、納得の復活劇だと感じました。
藤巻亮太が語った「承認欲求」の正体とは
藤巻亮太さんが語った“承認欲求”というキーワード。
なんだか難しそうに聞こえますが、要するに「自分を認めてほしい」という気持ちのことです。
藤巻さん自身、「あの頃は、誰よりも人の目を気にしていた」と振り返っています。
ファンにどう思われているか、評価されているか、正直なところ、気が気じゃなかったそうです。
ステージに立っていても、心はどこか疲れていた。
そんな時期に、レミオロメンとして音楽を続けるのが難しくなってしまったのは、当然のことだったのかもしれません。
システム開発の現場でも似たような話があって、
「周りは評価してくれないのに、やることだけ増えていく」って状況、ありますよね。
やりがいがあるはずの仕事も、「自分ばっかり損してない?」と感じると、急に足が止まってしまう。
でも、藤巻亮太さんはこうも語っていました。
「他人の評価じゃなく、自分の声に耳を傾けることができるようになった」
この一言に、14年という時間の重みを感じました。
外からの評価を追いかけていた自分を手放して、
もう一度「音楽が好き」という原点に立ち返った。
それが、再結成を後押しした最大の理由だったのかもしれません。
そして次に気になるのは、他のメンバーの想いです。
続いては「14年ぶりの再結成」について、詳しく見ていきましょう。
14年ぶりの再結成!藤巻亮太が明かすツアーへの想い
14年という年月は、短いようで長いものです。
高校生が社会人になり、独身だった人が子育てしているかもしれない。
そんな中で、再び3人が“レミオロメン”として集まったことは、ちょっとした奇跡のようにも感じられます。
ここでは、再結成のきっかけとメンバーそれぞれのコメントを振り返りながら、彼らがどんな思いで新たな一歩を踏み出したのかを掘り下げてみます。
メンバー3人のコメント全文まとめ
まずは、発表時に公開された藤巻亮太さん・前田啓介さん・神宮司治さん、3人のコメントを見てみましょう。
藤巻亮太さんは、こう語っています。
「それぞれの時間を過ごし、今だからこそ、改めて3人で音を鳴らしたいと思えた」
この言葉の裏には、“今なら、ちゃんと向き合える”という強い想いがにじんでいます。
一方、前田啓介さんは…
「音楽活動から離れていた期間に、地元での生活や自然と触れ合う時間が増えて、自分にとって音楽がどういう存在かを改めて考えることができた」
そして神宮司治さんは、
「再び3人でやるからには、変に飾らず、素直な音を届けたい」
それぞれが別の時間を過ごし、それでもまた“同じ場所”に帰ってくる。
まるで、長い旅を終えて実家に戻ってきたような、そんな温かい空気が伝わってきました。
次に、再結成を決めた“きっかけ”についても触れていきます。
単なるノリや話題づくりじゃない、本気の再スタートだったようですよ。
再始動を決めたきっかけは“あの瞬間”だった
レミオロメンの再始動に火をつけたのは、実はある一つの出来事でした。
それが、2023年末に藤巻亮太さんが開催したスタジオライブ。
そこに前田啓介さんと神宮司治さんがゲストとして登場し、なんと3人で「粉雪」を演奏したのです。
この映像は、のちにYouTubeでも配信され、「涙が止まらない」「あの頃がよみがえった」と話題沸騰。
SNSでは“レミオロメン復活フラグじゃ!?”とざわつくほどでした。
藤巻亮太さんいわく、あの演奏を終えた瞬間、3人が無言でうなずき合ったそうです。
言葉はなかったけれど、「もう一度やろう」と心で決まった瞬間だったんでしょうね。
この流れ、本当にドラマチックです。
エンジニア仲間で昔のプロジェクトメンバーと久々に仕事したとき、「あ、このチーム、やっぱり好きだな」って思うことがあるんですが、あれに近い感覚かもしれません。
実際の再結成発表は、25周年に向けた“Reunion”というキーワードと共に行われました。
単なる再会じゃない、“再出発”。
そこに3人の強い覚悟が詰まっているように感じます。
メンバーの現在地は?活動休止中に得た“それぞれの人生”
レミオロメンが14年ぶりに戻ってきた背景には、3人それぞれの「別々の人生」がありました。
この時間があったからこそ、今の再結成には深みがある。
ここでは、活動休止中のメンバーが何をしていたのかをざっくりご紹介します。
藤巻亮太はソロとフェス主催で新たな音楽を開拓
藤巻亮太さんは、活動休止後すぐにソロアーティストとして再始動しました。
代表曲「3月9日」や「粉雪」にとどまらず、自身の音楽性を広げるようなアルバムを数多く発表。
そして何より印象的だったのが、自ら音楽フェスを立ち上げたことです。
地元・山梨で開催した「Mt.FUJIMAKI」は、アーティストとしてだけでなく、プロデューサー的な立ち位置も確立した証拠。
技術畑のSEが、突然リーダーとしてプロジェクトをまわし始めるような感覚にちょっと似てます。
演奏だけじゃなく、全体を見渡して“音楽を育てる人”になっていたのが藤巻亮太さんの14年間でした。
前田啓介と神宮司治は“オリーブオイル”で人生が変わった
ベースの前田啓介さんとドラムの神宮司治さんは、音楽の表舞台からは少し距離を置いていました。
特に話題になったのは、2人が手がけた“オリーブオイル事業”。
「ミュージシャンがオイル!?」と驚くかもしれませんが、これが意外と本格派。
山梨の自然の中で育てたオリーブからオイルを搾り、ECサイトで販売。
地元のイベントにも積極的に出店していて、ファンとの新しいつながり方を模索していたそうです。
音楽で人を喜ばせるのも、オイルで笑顔にするのも、根っこは同じ“表現”なのかもしれません。
ある意味、技術職から農業系ベンチャーに転職したエンジニアみたいな話です。
活動を止めたわけじゃない。
違うフィールドで“育てていた”時間だったんですね。
次は、そんな3人の再始動を受けたファンの反応を見てみましょう。
SNSでは嬉し涙とともに、さまざまな世代の声が飛び交っています!
SNSでのファンの声が熱い!「レミオロメン世代」の涙と歓喜
レミオロメン復活の報せが流れた日、X(旧Twitter)やYahooリアルタイム検索がちょっとしたお祭り状態になりました。
青春時代を思い出した人たちが、喜びと感動の声を次々と投稿。
ファンの反応は、もはや「一大ムーブメント」と言っても過言ではありません。
リアルタイム検索にあふれた反応まとめ
「レミオロメン復活」がトレンド入りした日、SNSにはこんな声があふれていました。
- 「涙が止まらん。3月9日に復活とかエモすぎる…」
- 「中学の卒業式で歌った記憶が一気によみがえった」
- 「レミオロメン世代にとって、これは事件だよ」
中には、「上司にバレないようにトイレで泣いた」という社会人の投稿も。
このあたり、本当に“レミオロメンとともに大人になった世代”のリアルが詰まってます。
また、CDショップや音楽配信サービスでも旧作の再生回数が一気に急増。
思い出が一斉に呼び起こされたような感覚、ありましたよね。
まるで青春時代が、音楽とともに巻き戻されるような。
Z世代にも届く「3月9日」の世代を超えた共感力
面白いのは、Z世代からも「なんか泣ける」との声が出ていたこと。
TikTokでは、「3月9日」のアコースティックカバーやスローモーション動画がバズり中です。
これ、あの時代をリアルに知らないはずの子たちが、音楽の力だけで“刺さってる”ってことなんですよね。
筆者の職場でも、20代の後輩が
「レミオロメンって正直知らなかったけど、3人で歌ってる動画みたら涙出ました」
なんて言ってて、思わずほっこりしました。
時代を超えて響く音楽って、理屈じゃなくて“心”で伝わるんですね。
ということで、レミオロメンの復活は、単なるノスタルジーでは終わりません。
再始動した3人が、どんな音を奏でてくれるのか。
そして僕たちファンが、それをどう受け止めていくのか。